- 男性
- Mr.Mです。よろしくお願いいたします。 なお、URLまたはアドレスが未記入のコメントについては、原則として非公開とさせていただきます。
会員登録して、Mr. Mさんをフォロー(お気に入り登録)しよう
Mr. Mさんのなう
[2/5 00:36]昨年12月のN響定期Aプロ(デュトワ指揮/マーラー:交響曲第8番)の全曲が2月5日(日)6:00からNHKBSプレミアムで放送されます。コンサート・プログラム解説を担当させていただきました。こちら(12月の分)でお読みいただけます。http://t.co/iNEG6JDD
[2/3 15:54]昨年12月に行なわれたN響定期(デュトワ指揮/マーラー:交響曲第8番)の全曲が2月5日(日)6:00からNHKBSプレミアムで放送されます。コンサート・プログラム解説を担当させていただきました。こちら(12月の分)でお読みいただけます。http://t.co/iNEG6JDD
[2/2 01:07]承)そして高野さんは高らかにこう宣言します。「これこそ私の思うところの『乙女のクラシック』なのだ」。深く共感しました。感動しました。「乙女」に独占させておいてはいけません。一人でも多くの人にこの本を読んでいただきたいと思います。
[2/2 01:07]承)萩尾望都とクラシックをめぐっての高野麻衣さんの言葉はさらに次のように続きます。「とってつけた『教養』ではなく、愛をこめて、じつに自然に。そればかりか、音楽は物語を暗喩し、伏線となり、最終話の余韻となる」(『乙女のクラシック』243頁)(続く
[2/2 01:07]承)そして次の言葉に出会う。「マンガ界において、『小道具としてのクラシック』の第一人者はやはり手塚治虫だろうけれど、私のなかで萩尾望都の選曲は、もはや神格化されている。……」(『乙女のクラシック』243頁)。ここからの部分、高野麻衣さんの最も面目躍如たるところかもしれません。
[2/2 00:01]承)《アラベラ》の部分と同じか、それ以上に深く共感したのは、最終章「花咲く乙女たちのクラシック」か。「日本で最初のクラシック音楽愛好家は、旧制高校と旧制大学の学生たちだった――私はずっと、この説に疑問をもっている」(『乙女のクラシック』241頁)非常に興味深い問題提起です。(続く
[2/2 00:01]承)一番心うたれたのは、《アラベラ》について、「エンディング、失意の婚約者の前に、階段の上から優雅な足どりでアラベラが降りてくる。…このオペラを観て以来、私は階段やエレベーターを降りるときにアラベラを思い出し、背筋を伸ばすようになった」(『乙女のクラシック』222頁)(続く
[2/2 00:01]承)また、「池田理代子『ベルサイユのばら』…シェーンブルン宮殿でのマリー・アントワネットとモーツァルトのつかのまの邂逅が、愛らしいエピソードとして綴られている。」(89頁)のようにコミックや映画などについても実にツボを押さえた脚注が付いているのも嬉しい。『乙女のクラシック』
[2/2 00:01]承)という感じで、高野麻衣さんの『乙女のクラシック』。「乙女」とはほど遠い私のような者も大きくうなずきながら読み進むところや、そうだったのかと驚き納得するところが、ほとんどすべてのページにちりばめられています。音楽だけではなく同時代の文学や美術、社会への触れ方も素敵です。(続く
[2/2 00:01]承)ベートーヴェンについてのコラムには、「音楽史最強のツンデレ男。その無愛想さに怯える少女もいれば、どうしようもなく母性本能をくすぐられる女性も多かったはずだ。……そんな男の『伝説のデレ』こそが、“不滅の恋人”へのラブレターである」とあります。(『乙女のクラシック』112頁)
[2/1 22:53]承)クープランについて。「…繊細なよろこびがあり、どんな冒険にも劣らない深い憂いがあり、痛みがある。その切実さをわからない人なんて、おそらくはじめから音楽とは無縁だろう。……それを受けとめる感受性こそがロココの、ひいては「乙女のクラシック」の基本だと、私は思っている」(続く
[2/1 22:53]承)素敵に思ったところをいくつか。「《アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳》。夫の音楽をよりよく理解するため、もっと勉強したいと思っていたアンナ・マグダレーナのために、バッハが紡いだ練習曲集。こんなにも穏やかな愛のかたちを、たくさんの乙女に知ってほしい」(62頁)(続く
[2/1 22:53]高野麻衣さんの『乙女のクラシック』(新人物往来社)を読みました。とても素敵な本です。基本的には「音楽史」を語っているのですが、帯にある「ようこそ、あなたのための音楽史へ。あなたの生活を薔薇色にいろどる魔法の舞台はこちらです」という言葉通りの素晴らしい本です。(続く
[2/1 18:45]ブログを更新しました。→高野麻衣さんの『乙女のクラシック』 http://t.co/BGDHvE5F
[1/31 23:08]わーい。今日届きました。小田島久恵さんの『オペラティック!』(フィルムアート社)。早く読みたい! http://t.co/giLte5L5
[1/29 23:54]金曜日の尾高/名フィルのGM6.いくつかのツイートやブログなどによって、靴音が一種の示威的な意味を持っていたことが確認できた。稀に見る素晴らしい演奏であったことを思うとあらためて怒りがこみ上げてきた。最後の音が消え去ったあと拍手までの数秒の深い沈黙が味わえるとの予感があったのに。
[1/27 14:54]【ベルグルンド追悼】三種のシベリウスの交響曲全集はどれも素晴らしいと思う。彼の業績として忘れられてはならないのは《クッレルヴォ》(《クレルヴォ交響曲》という日本語表記は間違い。この曲は交響曲ではない)のメジャー・レーベル(英Columbia)による最初の録音を残したことだと思う。
[1/25 23:32]承)確かに直接的にはベッカーに対するものかもしれないが、アドルノの批判は、深遠めかしていても実は曖昧で皮相的で世紀末の芸術に関して月並みに使われているものにすぎない「死」をめぐる言説をマーラーにも当てはめることに汲汲としていた人々の全体に向けられていると思う。(続く
[1/25 23:32]承)マーラーの第9番と死についての紋切り型へのアドルノの批判は、直接的には、パウル・ベッカーの『グスタフ・マーラーの交響曲』(1921年)中の「『死が私に語ること』が第9番の書かれざるタイトルだ」という言葉に向けられたものであることをC・フローロスは示唆している。(続く
[1/25 01:31]承)先に書いたように「マーラーの第9番にばかばかしく仰々しい『死が私に語ること』などの言葉が偽ってつけられている」(つまり、「死」をめぐる紋切り型で一義的に語られる)ことをアドルノが批判して以降のこの半世紀の間に事態はより一層嘆かわしい方向に進んできてしまった。(続く


