- 男性
- 1975/04/13
- 阪大工学部から進路転向して仏教(浄土真宗 親鸞会)の講師になりました。 文化講座、家庭での法話、ホームページやメルマガ、ブログの執筆をしています。 イギリスのロンドンで生まれて、5歳で…
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ぴょんたさんのなう
[5/27 07:45]自分さえよければ、他人はどうでもよい、という我利我利の考え方では、幸せは、やってこない。思いやりの心を大切にして、他人のためを思って行動する人は、また周囲から大切にされ、自分自身にも幸せが巡ってくる。
[5/26 07:46]国なら国民の安心安全、会社なら事業の達成、家庭なら家族の幸せ…、それぞれに構成メンバー共通の目的があるはず。目的を忘れ、それぞれが自分の考えや都合のみを優先すると必ず衝突が起きる。何が大切か、大局を見る心の広さが、相手への思いやりを育む。
[5/25 07:45]「ありがとう」と心から言われて怒る人はいない。何かをプレゼントして、相手が本当にうれしそうにしていると、こちらの心も幸せになる。母親や妻が作ってくれた食事でも、「おいしいね」の一言が、どれだけ喜ばれるか分からない。
[5/24 07:45]金でも物でも名誉でも、私たちの欲望は渇愛の法則で、満たせば満たすほど倍加されてゆきます。その為に、最も大事な人生の目的を見失い、五欲の虜になって命を奪われていく。五欲という迷酒に酔っぱらい、その自覚もないほど危ないものはありません。
[5/23 07:45]科学で人類は幸せになれるでしょうか?科学はあくまでも幸福になる一つの手段であり道具です。その道具を使うのは人間です。私たちがそれを、どう使うかによって科学は鬼にも仏にもなると教えるのが仏教です。
[5/22 07:45]「世の中の 娘が嫁と花咲いて 嬶としぼんで 婆と散りゆく」女性の一生を詠った一休の歌。女偏に「良」で娘。女が家に入ると嫁。子供を生むとどっしりして鼻が高くなるから嬶。やがて額に波が寄ってきて婆となる。呼び名が違うだけで男も同じ。
[5/21 07:48]「美味しい」と感じるのは「飢え」という苦しみが軽減されていく過程です。飢えの苦のないところに、美味しいという楽しみはあり得ません。人生も苦しみから逃げ回って生きようとする人は、楽しみを味わうことができないのです。
[5/20 07:45]先祖のたたりはあるのか?ない。不幸や災難が続いても、まかぬタネは、絶対に生えないのです。自分に現れた結果は、すべて自分のまいたタネからなのです。不幸の原因は先祖供養をしないから、というのは迷信だとお釈迦様は教えられました。
[5/19 07:45]幸福といわれるものに2つある。一つは、喜び、満足も一時的で続かず、やがては必ず、悲しみや苦しみに転化する今日あって明日なき無常の幸福。もう一つは、どんなことがあっても崩れない、色あせない永遠に続く幸福。「無碍の一道」といわれます。
[5/18 07:45]人間は、生きるために食べ、食べるために忙しく働いていますが、一日、生きたということは、一日、死に近づいたということ。人生は「冥土の旅」と一休は言う。しかし、死ぬために生きるのでない。やがて死ぬのになぜ生きるのか?人生の目的が問題になる。
[5/17 07:45]苦しみ悩みはどこから起きるのか?それは、信じていたものに裏切られると起きる。病人の苦悩は、健康に裏切られたから。夫婦の悲劇は、夫や妻が信じていた相手に裏切られたから。深く信じていればいるほど、裏切られた苦悩や怒りは大きいのです。
[5/16 07:46]亡き先祖が私たちに最も望んでいることは何か?それは、あえて亡くなった親や先祖を呼び出して聞くまでもなく、私たちが子供に何を望み、願っているかを考えてみれば分かること。「正しく生きよ、幸福になれかし」ということ以外にない。
[5/14 07:46]読経するのは死者の供養のためという誤解がある。お経は、お釈迦様が生きている人に説いた教えの記録。生きている人が、現在ただ今「人間に生まれてよかった」という本当の幸せに生かされる教えが記されている。仏教は生きている人のための教えです。
[5/13 08:25]信心は必要か?信心とは何かを信ずること。言葉をかえれば、頼りにする、あて力にするということ。何かを頼りにし、あて力にしなければ生きてはゆけないのが私たち。だから、生きるとは信ずることであり、すべての人は何らかの信心をもっているのです。
[5/12 08:25]幸福も不幸も、自分の運命のすべては、自分の行為が生み出したもの。例外はない。他人のまいた因が、自分に果として現れる「他因自果」もなければ、自分のまいた因が、他人に果として現れる「自因他果」も、絶対にないと教えるのが仏教。
[5/11 08:25]すべての結果は、「因」だけで起きるのではなく「因」と和合する「縁」が必要。たとえば、米という「果」は、モミダネという「因」と、土壌や水分、日光や空気などの「縁」が和合して生じる。すべての「果」は、「因」と「縁」が和合して生じる。
[5/10 08:25]「汝ら、過去の因を知らんと欲すれば、現在の果を見よ。未来の果を知らんと欲すれば、現在の因を見よ」と釈迦は教える。現在を見れば過去も未来も、みな分かる、悠久の過去と永遠の未来を包含しているのが現在であるからだと、教えられたものです。
[5/9 08:25]どんな結果にも必ず原因がある。生まれたという結果にも。男女、貴賤、賢愚、美醜など、一人一人の生まれた結果が異なるのは、70億の各人各様に生まれる前の、各人各様、異なった原因があったからに違いない。
[5/8 08:25]業とは、私たちの身、口、意によってなされる行為をいいます。過去の私たちの行為のよしあしが、現在の私たちの運命という結果をつくった原因です。自己の現在の運命を生み出したものは、かつて自己の意志によってなされた行為なのです。
[5/7 08:25]「他力本願」には、元来、“他人まかせ”という意味はない。「他力」を、太陽の働きや、雨や風や空気、そのほか、自然の運行などと思うのも誤解。これは仏教の言葉。他力とは、私たちを、未来永劫、大安心・大満足の絶対の幸福にするはたらきのみをいいます。
KARASIA | BIGBANGライブ | 日本×セルビア



